ねこのおしごと

いつでも自由気ままに生きている猫は何を思い何をするのか?TV・雑誌と各メディアに展開中!猫の話を聞け!

ねこのおしごと

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24時間介護が必要になった母への迷いと決断 ~私の結婚と仕事~

世界一尊敬する私の母

私は幼き頃から母子家庭で育った。

 

しかし今まで父が居ない事で

寂しいと思った事は無い。

 

なぜなら両親が揃った家庭の

記憶が無いからである。

 

母と2人で過ごす生活が

普通であり疑問を持たずに

育った。

 

だがしかし母が居ない事で

寂しいと思った事は山ほどある。

 

母は精神病院の看護師をしていた。

 

裕福な家庭では無かったので

私を育てる為に休日祝日の

手当がつく日を選んで出勤していた。

 

常に一人。

 

深夜勤、準夜勤の時は

泣いて母を困らせた。

 

仕方ない。

小学生の私は寂しさを

我慢出来なかったのだ。

 

母はがむしゃらに働いた。

 

のちに聞いた話だが

母と私を捨てて愛人の元へ

消えた父からの養育費は

無かったそうだ。

 

母はすべて私の為に。

たった1人で育ててくれたのだ。

高校から始まる恩返し

高校は公立を受けた。

 

貧しい我が家では私立を

選べば母の負担が増えてしまう。

 

合格発表の時は親子で喜ぶ

これからの同級生に混ざって

1人ガッツポーズを決めた。

 

部活は小学生の頃から続けていた

陸上部に入った。

 

県大会まで行ける事は出来たが

私の努力ではそれが限界。

 

トップになる事が出来なければ

なんの意味があるのか?

 

私は部活を辞め学費の負担を

減らす為バイトを始めた。

 

母にこれ以上迷惑はかけられない。

上り調子の社会人生活

当然だが大学に行く余裕など無い。

 

私は小さな建築会社に就職し

社会人としての一歩を踏み出した。

 

同期の女性とお付き合いも

始まった。

 

さらに自分の能力を高める為

地元では名のある建築会社へ

転職も出来た。

 

何もかもがうまく進んでいた。

 

私は母が築けなかった理想の

家族を実現できると信じていた。

母が躁うつ病になる

ほんの小さな事で母と

口論になる日が続いた。

 

なぜなのか?

そんなに気に障る事を

言ってしまったのか?

 

心配になった私は母へ

勤め先の先生に相談する様に

勧めた。

 

結果は休養を取る様に。

 

それなりの役職についていた

母は責任感が強い。

 

「私が休むと他の人に

 迷惑がかかる」

 

と、母が言う。

 

休養は先延ばしとなり

やっと連休を取って

実家へ帰る事に。

 

しかしそれは、末期がんの

祖母の介護の手伝いに

行く為であった。

 

数日後電話が鳴る。

 

母の姉からである。

 

「あんたのお母さん

 変だからすぐに来て」

入院生活

病院に連れて行った母は

措置入院となった。

 

男性看護師に押さえつけられ

注射を打たれながら私の名を

呼ぶ母の姿は涙でぼやけて見える。

 

なぜ母が・・・

 

入院は数ヶ月続き隔離病棟から

一般病棟へ。

 

その間に祖母は他界してしまう。

躁うつ病の恐怖

躁うつ病は気分の変化が激しい。

 

ずっと布団の中で寝ている時は

まだいい。

 

ある日、家中を掃除している。

 

ある日、部屋の荷物が無くなっている。

 

ある日、リビングに住宅の

パンフレットが並んでいた。

 

母は新築したいそうだ。

 

ある日、私が帰宅すると

建築会社の方と打ち合わせを

していた。

~母の人生か私の人生~

彼女とはもう12年共に過ごした。

 

母が病気になった時私の心の

支えになってくれた大切な女性だ。

 

30歳と言う節目に彼女から言われた。

 

「この先どうするの?」

 

私は母を一人に出来ない。

彼女は2人で新しい生活を望む。

 

彼女の境遇は知っている。

なぜ2人で新しい生活を送りたいのか。

 

理解しているつもりだが

母との3人暮らしはダメなのか・・・

 

「あなたの人生はそれでいいの?」

 

彼女からの問いかけ。

 

私は母の人生を選んだ。

 

数日後彼女へ家にあった

荷物を渡して別れを告げた。

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新しい土地で新しい生活

去年縁もゆかりも無い土地に

新居を構えた。

 

初めて見る景色に映る人影に

知っている人は居ない。

 

自分で描いた理想の家。

 

車も新しく買い替えた。

 

そう、まだ人生は終わりじゃない。

 

母と私の人生は新しく

ここからスタートする。

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躁うつ病再び

新居に越してから4ヶ月目。

母が救急車で運ばれる。

 

そして精神病院へ保護入院と

雲行きが怪しくなる。

 

2ヶ月後に無事退院。

 

だが、3ヶ月後再度入院。

 

今度の入院期間は1ヶ月長い。

 

再び我が家に戻る時母は

いつもの母では無くなっていた。

24時間介護の始まり

母は寝たきりになってしまった。

 

会話が出来ない。

 

1人で歩けない。

 

オムツ生活。

 

寝がえりすらできず。

 

私は今3時間置きに母の

様子をみている。

 

なぜ入院までしたのに・・・

~介護離職~

母の介護認定はまだ降りてない。

 

介護サービスを利用しても

認定が降りなければ全額負担。

 

申請結果は1ヶ月後である。

 

支援センターの方と話した。

施設への入所も含めて。

 

母を誰かが見ていなければ

いけない。

 

頼れる人は居ない。

 

何の為の新築だったのか・・・

すべてうまく行くはずだったのに・・・

 

一番安く済むのは自宅での

介護だそうだ。

 

年金支給額が多ければ

それだけ負担があると言う。

 

あんなに頑張って働いて

努力の結果それだけ持って行かれる。

 

バカらしいシステムだ。

 

努力するだけ無駄では無いか。

 

私は自宅介護を選択し

先月会社を退職した。

今までにありがとう

いつも遊んでくれた友人に

ありがとう。

 

学業を共にした友人に

ありがとう。

 

素敵な恋をくれた彼女に

ありがとう。

 

社会の厳しさを教えてくれた

上司にありがとう。

 

ここまで育ててくれた母に

ありがとう。

思い残す事は無い

恋もした。

最高の車も手に入れた。

自慢の新居も手に入れた。

 

他に何を望む必要があるのか?

 

残りの人生母の為に使おう。

 

父が捨てたこの人生を。

 

母がくれたこの人生を。

 

順番で行けば3匹の猫が逝く。

 

母の年金と資産運用や

複数のブログによる

わずかな収入と貯金を

崩せば20年は問題無い計算。

 

今日も母の手を握り

答えの返らない話をする。

 

「おかあさん明日イチゴ

 また食べたい?」

 

「おかあさん明日の

 天気なんだろう?」

 

「明日おかあさんの

 声聞けるといいな」

 

昨日も母の手を握り

答えの返らない話をした。

 

「おかあさん明日は

 お風呂に入ろうか?」

 

「おかあさん明日

 燃えるゴミの日だよ」

 

「おかあさん俺

 寝坊しちゃったよ」

 

明日は母の手を握り

母の答えを聞きたい。

 

「本当に俺の決断は

 間違って無かった?」

 

「俺の人生はこれで

 いいんだよね?」

 

「おかあさんの人生って

 幸せだった?」

100の迷いと100の決断の先

どれか1つを決断しなければいけない

100の迷いがあったとしよう。

 

その中から正解の1つは

選べるのだろうか?

 

そもそもその中に正解は

あるのだろか?

 

私は思う。

 

100の迷いに正解など無い

 

選んだ1つの決断を正解にするのは

なにより決断した自分本人であると。

 

だから私は自分の選んだ決断を

正解にする為努力する。

 

精一杯今この時間を大切に

生きていこうと思う。

次回のねこのおしごとは?

「賞金20万円で介護ベッドを買う」

 

「その課金返金できるかも?

 Googleストアで手続きをしてみた」

 

の2本だよ。

おたのしみに!

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